もぐもぐタヌキ

今回は、「」について考えてみたいと思います。

人間の食べるという行動は、身体のコンディションや心理状態と大きく関連しています。
たとえば、自分で自分の心身をうまく操れていない時、食行動を管理することに執着してしまったり、異常とも思えるような極端な食行動がエスカレートしてしまったりしやすくなると言われています。

いわゆる摂食障害とまではいかなくとも、ご自身の食行動に不安を持っている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

その対処法について、いくつか挙げてみたいと思います。

こころと「食」の関係性に注目する

まずは、ご自身の「食行動がセーブできないとき」がどんなときか、振り返ってみましょう。行動記録をつけてみたり、感情のアップダウンをグラフのように書き出してみるのもオススメです。人によっては「気持ちが沈んでいる時に食べ過ぎちゃうんだな」とか「夜遅くまで起きているときが危険だな」というパターンが見えてくるかもしれません。
それがわかってきたら、その危険なタイミングをどうやって避けられそうか、を考えてみましょう。「とりあえず早めに寝る」とか、「気持ちが沈んでいるとき用に、自分なりの気持ちの切り替え方法をリストアップしておく」というのも有効です。

食のコントロール=人生の舵取り?!

健康

ですが、中には「そんなことじゃ私の問題はどうにもならないよ」と思う方もいらっしゃるかと思います。
食行動コントロールの鍵となるのは「自己効力感」です。
自分が無力だ、ダメなやつだ、と思っていたり、あるいは自分よりも誰かの意向を優先しなければいけなくて、自分の本心や本来ある欲求を後回しにせざるを得ない状況だったりすると、自己効力感は下がってしまいます。

摂食障害になってしまう方は、単にダイエットに歯止めが効かなくなってしまった状態、というだけでなく、背後にこのような心理状態が潜んでいることが多くあります。

「自分の人生のハンドルは自分で握る。」これが罪悪感なく、自然にできるようになってくると摂食の問題は解決に向かっていきます。

食べること、生きること。

——これは行動や気持ちのアップダウンを記録することより、もう少し難しい課題かもしれません。一人ではまず何からすればいいのかわからない‥という方は、心理カウンセリングを利用されてみてはいかがでしょうか。
ご自身が生きてこられた環境を改めて振り返ったり、抑圧してきた感情に気づいたりすることが、食行動や気持ちの不安定さを軽減させることにつながります。

たかが食、されど食。
人が生きる基本であり、しかし改めて考えるとやはり深いテーマだな、と考えさせられます。

ゴムの木
相談室のゴムの木も、CAFICと一緒にぐんぐん伸びています!

7月からCAFICの講座が始まりました。

当初は、「グループ相談を基本に」と考えておりましたが、コロナ・ウィルスもなかなか落ち着きません。
ご利用される方々の安心確保のためにも、当面は「マンツーマンの専門相談」という位置づけにさせていただき、状況をみながらグループ相談も開催する方向で考えていきたいと思います。

詳細については「講座など」や「お知らせ」でお知らせいたしますので、そちらをごらんください。

「熟年期・認知症の方の家族相談」開催

7月は、「熟年期・認知症の方の家族相談」が開催されました。要介護2の家族との関係性に悩む方がご参加されました。

病気の影響で暴言や暴力などがあり、共に暮らすことに疲れてしまった。かといって今後、どうしていったら良いのやら・・・と、途方に暮れておられるようでした。

専門相談員は、
「介護や別居、それにまつわる費用や今後の生活費など、現実的な問題がいくつもあることに気づいていただき、それらを検討していただくための情報提供等や念のためしておいた方がよい検査等についてご案内した」
そうです。

現実検討と語りの場に

熟年期の悩みには、

「5年後、10年後、自分の体力も落ちていくなかで介護をしていけるのか」
「施設などに入ってもらうとしたらいくらくらいかかるのか」

など、先を見通してのマネープランがとても重要です。専門相談はこうした現実検討にとても役立ちます。

また一方で、「現実的な問題には手をつけられない(つけたくない)けれど、この苦しい気持ちをひとりで抱えるのはたいへん」という方もおられます。そうした方が第二の人生を自分らしく、豊かに生きるためにも、ぜひCAFICの講座をご利用ください。

新型コロナ感染症による外出自粛期間、おとなはテレワークが推奨され、学校は休校。
そして、学校の授業のオンライン化はできないのか?という議論が突如(と私は感じました)巻き起こりました。

今は小中高校で通常授業が再開され、またその議論は少し下火になっているようですが。

実際、私立学校や大学の多くがオンライン化を急ピッチで準備し稼働、大学を中心に現在も続いているようです。
公立の小中学校でもオンラインの授業を行なっている自治体があり、不登校生にとってはそれが学習意欲向上につながっている、という報告も目にしました。(6月12日NHKニュースウォッチ9より)

オンライン授業が子どもたちを救う?

現在、日本全国に十数万人とも二十万人とも言われる不登校生。学校の授業をオンラインにすれば、たくさんの子どもが救われるのか?

確かに海外では自宅学習が選べる所もある、などと聞いたこともありますし、疾患等のために学校に通いたくても通えない、でも院内学級にも在籍していない、という子どもにとっては救いの一手になるかもしれません。

と考えると、この流れを契機として、感染症の流行等に関わらず、公教育の一つの選択肢として、国・自治体が整備を進めることも良いのかな、という気がします。

学校教育と不登校

ただ、その一方で、私が今まで出会ってきたたくさんの不登校生たちが、オンラインの授業が始まったからと言って、喜んでそれを受講して、それによって学校復帰意欲が高まるか?と言うと、半数以上、想像では7〜8割くらいはあてはまらないように思います。

学校の授業を受けたい・または同様の学習をしたいと思っている子は、在籍している学校で部分登校や別室登校をしていたり、自治体が設置しているフリースクール(適応指導教室・教育支援センターなど名称はさまざまです)に通っていたり、あるいは個別指導の塾や家庭教師やらで、すでになんらかの形で教育を受ける機会を確保していることが多いです。

‘授業’だけの問題?学校教育と不登校

問題なのは、その段階にまで至っていない子、つまり「オンラインで授業をやっているよ」と言われても心に響かない子どもたちがたくさんいるのでは?ということのように思います。

学校教育に無関心や拒絶反応を示す子どもたちは、オンライン化では救いきれません。そして、彼らを‘リアルな’人間社会の中に戻していく機会もまた、オンラインでは提供しきれないように思います。

決してオンライン化の流れを否定するわけではないし、もちろんメリットもあるとは思います。が、「導入すれば不登校生が減るか」というと、そんな単純な問題ではないと感じます。

このコロナ禍での試行錯誤を経て、その先に見えてくる課題に私たちおとなが一つ一つ向き合い、そしてまた試行錯誤をする、という過程はまだまだ続いていくように思います。

COVID-19

緊急事態宣言や東京アラートは解除されても、コロナ不安はなかなか払拭されません。「いつ第二波が来るのか」と家から出られず、「外はコロナがいっぱいだ」と怯え、外出した家族を「コロナを持ち込むのか」と責める。・・・そんな話も耳にします。

前にも書いたように、対象がはっきりしている恐怖とは違い、不安という感情は何をやっても、どんなことをしてもつきまといます。

漠然と不安を抱えるのではなく、

①いったいコロナのどんなところが、どんなふうに怖いのか
②それについて客観的な対処方法があるのか
③自分はそういった対処法を取っているのか

などと恐怖の対象について具体的に考え、書き出してみましょう。

苦手な上司への対処方法と一緒

叱責

たとえば苦手な上司への対処方法などと一緒です。ただ「あの上司は怖い」「どうにか会わないように過ごしたい」と思っていると、「もし、ああだったら」「次にこんなことをしたら」などという妄想ばかりが広がって、不安はどんどん増すばかりです。

そんな事態を避けるには、「自分は上司のどんなところが怖いのか」をはっきりさせ、恐怖を取り除く具体的な方法を考えることが有効です。

たとえば「時間に厳しい」上司なら、遅れないためにはどんな努力をすればよいのかを考えます。「口が悪い」上司なら、その上司は自分にだけそんな口調なのか、などと考えてみることで、上司へのとらえ方が変化したりもします。

「コロナとどうつきあうか」

そもそもこれだけ世界中に蔓延しているコロナです。「自分だけは絶対に触れないで過ごそう」とすること自体がナンセンスかもしれません。

私たち人類は、過去にも多くの感染症や破滅的な戦争を乗り越え、生き延びてきました。

その現実を踏まえたうえで、確実に私たちの身近にあり、いつ、だれが、どこで感染してもおかしくないコロナと「どうやってつきあっていくのか」。そういった見方に転換してみるのも、コロナ不安から抜け出す一助にはならないでしょうか。

リフレーミング(reframing)

このように物ごとを見る枠組み(frame)を変えて、別の枠組みで見直すことを心理学の世界では「リフレーミング(reframing)」と呼びます。

逃げようとすればするほど、得体の知れない不安は追ってきます。だったら逃げるのではなく、いっそのこと「それと共にどうやってやっていくか」と考えるのも、ひとつの方法です。

何も特別な話でありません。他の病気や災いと同じことです。

「病になったから不幸」とうつうつと過ごすより、「病と共にいかに豊かに生きるか」と考え、自分らしい人生を選び取って行く。そのほうが人は何十倍も幸せに暮らしていけますし、幸福感は免疫力も高めます。

もしかしたら、それがコロナに負けない人生につながるかもしれません。

学校再開

緊急事態宣言が解除となり、少しずつ日常が戻ってきました。
6月上旬の今、都内の多くの学校では分散登校となっています。

久しぶりに集団授業が再開し、定期的に学校に行く生活が戻ってきている‥とは言え、まだ3日に1日程度の登校で、1日数時間〜半日程度からスタートしている学校が多いようです。

コロナ休校後の学校

フェイスシールド

そして、‘新しい日常’の元では、
「常にマスク着用」
「友だちとのスキンシップは禁止」
「お昼も離れて静かに食べる」
など、新しいルールがたくさん。
学校によっては、教員がマスクに加えてフェイスシールドも着用して、まだまだ非常事態、という雰囲気で授業をしています。

「コロナに立ち向かう」「感染を広げない」という意味で、決してこれらは間違っていないですし、必要なことでしょう。
放課後にイスや机・ドアや廊下の手すりなど隅々まで除菌のための拭き掃除をしている先生たちを見ると、本当に頭が下がる思いです。

さらに慣れない動画配信をおこなったり、分散登校のために同じ授業をふだんの3倍繰り返し行わなければならなかったり、そのご苦労もまた大変なものです。

子どもたちにとっての‘新しい日常’

しかし、その一方で、子どもたちの立場で考えてみると、なんと不自由で窮屈な学校生活!とかわいそうにもなってしまいます。
もし、私が中学生だったら、学校に行っても周りの子と気軽におしゃべりができなくて、部活も行事もなかったら‥‥。
たぶん学校なんて全然楽しくない!と不満だらけになるでしょうし、「大人もテレワークとか言って家にいるなら、私も学校行きたくないなぁ」と本気で思うだろうと想像するのです。

教育現場の‘非常事態’はコロナが終息するまで、当面は続くことになりそうです。
今は子どもたち一人一人にとっても、間違いなく試練の時。日常の楽しみが奪われてしまい、それがいつになったら元に戻るのかわからない、そんな不透明感の中にみんないるのです。

いつもに増して、今は「学校に行きたくないなぁ」と思ってあたりまえ。
——そんなふうに大人が子の気持ちを汲み取ってあげられると、学校で不完全燃焼な子どもたちも少し救われる気持ちになるのではないかなぁ、と思う今日この頃です。

感染不安

コロナ不安が広がり、体調を崩す人が少なくありません。

「自分はコロナにかかって死んでしまうのではないか」
「自分や家族が感染してしまったらどうしよう」
「いったいどこにコロナがあるのかと思うと、外に出るのが怖い」

相談のなかでも、そんなことをつぶやく方がいらっしゃいます。

不安」を感じるのはもっともなのですが、これはなかなかやっかいな感情です。
恐れている対象がはっきりしている「恐怖」とは違って、「不安」の対象は漠然としています。そのため対処のしようが無く、また何をどこまでやっても安心することができないのです。

不安と恐怖を分けて

不安

世の中には、出所もよく分からない、真実かどうかも見極めづらい、人を不安にさせる情報が飛び交っています。
「『安心しよう』とネット情報を集めれば集めるほど不安になってしまう」という負のスパイラルに陥りがちです。

まずは不安と恐怖をきちんと分けましょう。恐怖にはきちんと対処できるよう、情報を集めることも大切です。

そのときには、情報に飲み込まれないよう、「私はこのことを知りたいのだ」という意思を持って情報に触れましょう。たとえ専門家や政治家と呼ばれる人の話であっても、「これはこの人の立場から見た1つの意見に過ぎない」と批判的な視点を持って見ることも重要です。

それが難しいなら、思い切って「SNSから離れる、コロナ関連のニュースは見ない」ようにするのも一案かもしれません。

「日常性の連続」の分断

それでなくとも私たちは、不安を感じやすい状況に置かれています。

マスクの買い占めに始まり、トイレットペーパーなど日用品の不足。非常事態宣言による大型店舗の休業や閑散とした駅の構内や真っ暗な飲食店街。そして“自粛”という名の行動制限は、私たちから日常の楽しみを奪い、「一日中、家族が同じ屋根の下にいる」というような“非日常”をもたらしました。

そうして、私たちが安心して暮らしていくための生活の基盤を大きく揺さぶったのです。

私たちが安全感を持って生きていくめには、一定の秩序と連続性が必要です。「今日は昨日の続き」で、「明日もきっと今日と同じような一日だろう」という予測可能な日常性が無くてはなりません。

戦争や災害をはじめ、自分の身の危険を感じるような体験などが大きなトラウマとなるのはこうした「日常性の連続」が分断されてしまうからです。

濃厚接触無しに健康は保てない

そんな時だからこそ、「StayConnected」。実はこれ、山田養蜂所の新聞広告(『東京新聞』2020年5月24日)に載っていたフレーズでした。

「ウイルスに負けず健やかに暮らす、その羅針盤となる5つのこと」のひとつが「つながりを保とうStayConnected」だったのです。

「三密を避ける」「ソーシャルディスタンスを取る」「人との接触を避け、人と会うとにはマスクを」などが推奨される昨今、意識的に人とつながろうとすることが大切です。

ほ乳類であり、霊長類である人間は、本来、濃密な身体接触、人間関係無しに健康に生きることはできません。つながりが薄れていけば、人は不安や抑うつ状態になりやすくなり、体長不良にも陥りやすくなります。

どうやってつながりをつくるのか

オンラインの飲み会、オンライン授業、テレワークなどがにわかに盛んとなり、「新しい生活様式」として定着しようとしています。

買い物をするときも、駅を通り抜けるときも、病院などの受付でも、一枚の透明なビニールやアクリル板が立ちはだかっています。

触れ合うことも同じ空気を感じることも無いなかで、マスクをして表情を伝えあうことも難しいなかで、人間にとって必要不可欠なつながりをどうやって保つのか。

「つながりをつくる」ことを仕事とするCAFICに何ができるのか。常に考え続けなければなりません。

東京の都心部だけでも数えきれないほどたくさんある心理相談機関。その中でもCAFICだからこそできること、を私たちは考えてきました。

CAFICの心理相談

まず、特徴として一番に挙げられることは、一つの心理療法の枠に捉われていない、ということです。

「心理療法」という言葉に馴染みのない方も多くいらっしゃるかと思いますが、簡単に言うと心理相談をおこなう上での‘流派’のようなものです。
例えば最近ですと、「認知行動療法」が一般的に知られるようになってきていますが、これも心理療法の一種です。
認知行動療法は治療効果が確認しやすい等長所もたくさんある手法ですが、この手法のみで全てのお悩みが解決するかというと、答えは‘NO’なのです。

つまり、オールマイティな心理療法というのは存在せず、どのようなお悩みにどのような方法でアプローチしていくかは、カウンセラーの技量が問われるところでもあります。

まずはご相談内容をお伺いしながら、適していると思われる手法を適宜ご提案させていただくスタイルになりますので、ご相談者様からも質問やご希望など、お気軽におっしゃっていただければと思います。

心理相談+α

二点目の特徴としては、心理相談だけでなく、ケースワークや情報提供といった支援も盛り込んでいることです。

例えば、「不登校で中学校に通えていない、高校はどうしよう」というご相談の場合。
カウンセリングを通して心身のコンディションを整えていくことももちろん大切ですが、同じくらい重要なのが、不登校生にも多くの選択肢があることを知り、最も自分に適した環境を選択できることです。

「不登校でもふつうの公立や私立は受験できる?」「通信制とサポート校の違いは?」「いわゆる‘普通校’に行けなくても人生のハンデにならない?」——そのような疑問をひとつひとつ解決していくことが安心感、そして希望につながります。

不登校は一例です。
他にも「別居や離婚をする場合の手続き・制度について知りたい」「そうなった場合の子どもの面会や養育費はどうなるのか」等、一般的な心理相談に‘プラスアルファ’(=情報提供や専門相談)でお応えできます。

人生のトータルサポート'を担えるような社会資源をめざして、CAFICの総合相談メニューは今後さらに充実させていく予定です。