新型コロナ感染症による外出自粛期間、おとなはテレワークが推奨され、学校は休校。
そして、学校の授業のオンライン化はできないのか?という議論が突如(と私は感じました)巻き起こりました。

今は小中高校で通常授業が再開され、またその議論は少し下火になっているようですが。

実際、私立学校や大学の多くがオンライン化を急ピッチで準備し稼働、大学を中心に現在も続いているようです。
公立の小中学校でもオンラインの授業を行なっている自治体があり、不登校生にとってはそれが学習意欲向上につながっている、という報告も目にしました。(6月12日NHKニュースウォッチ9より)

オンライン授業が子どもたちを救う?

現在、日本全国に十数万人とも二十万人とも言われる不登校生。学校の授業をオンラインにすれば、たくさんの子どもが救われるのか?

確かに海外では自宅学習が選べる所もある、などと聞いたこともありますし、疾患等のために学校に通いたくても通えない、でも院内学級にも在籍していない、という子どもにとっては救いの一手になるかもしれません。

と考えると、この流れを契機として、感染症の流行等に関わらず、公教育の一つの選択肢として、国・自治体が整備を進めることも良いのかな、という気がします。

学校教育と不登校

ただ、その一方で、私が今まで出会ってきたたくさんの不登校生たちが、オンラインの授業が始まったからと言って、喜んでそれを受講して、それによって学校復帰意欲が高まるか?と言うと、半数以上、想像では7〜8割くらいはあてはまらないように思います。

学校の授業を受けたい・または同様の学習をしたいと思っている子は、在籍している学校で部分登校や別室登校をしていたり、自治体が設置しているフリースクール(適応指導教室・教育支援センターなど名称はさまざまです)に通っていたり、あるいは個別指導の塾や家庭教師やらで、すでになんらかの形で教育を受ける機会を確保していることが多いです。

‘授業’だけの問題?学校教育と不登校

問題なのは、その段階にまで至っていない子、つまり「オンラインで授業をやっているよ」と言われても心に響かない子どもたちがたくさんいるのでは?ということのように思います。

学校教育に無関心や拒絶反応を示す子どもたちは、オンライン化では救いきれません。そして、彼らを‘リアルな’人間社会の中に戻していく機会もまた、オンラインでは提供しきれないように思います。

決してオンライン化の流れを否定するわけではないし、もちろんメリットもあるとは思います。が、「導入すれば不登校生が減るか」というと、そんな単純な問題ではないと感じます。

このコロナ禍での試行錯誤を経て、その先に見えてくる課題に私たちおとなが一つ一つ向き合い、そしてまた試行錯誤をする、という過程はまだまだ続いていくように思います。

COVID-19

緊急事態宣言や東京アラートは解除されても、コロナ不安はなかなか払拭されません。「いつ第二波が来るのか」と家から出られず、「外はコロナがいっぱいだ」と怯え、外出した家族を「コロナを持ち込むのか」と責める。・・・そんな話も耳にします。

前にも書いたように、対象がはっきりしている恐怖とは違い、不安という感情は何をやっても、どんなことをしてもつきまといます。

漠然と不安を抱えるのではなく、

①いったいコロナのどんなところが、どんなふうに怖いのか
②それについて客観的な対処方法があるのか
③自分はそういった対処法を取っているのか

などと恐怖の対象について具体的に考え、書き出してみましょう。

苦手な上司への対処方法と一緒

叱責

たとえば苦手な上司への対処方法などと一緒です。ただ「あの上司は怖い」「どうにか会わないように過ごしたい」と思っていると、「もし、ああだったら」「次にこんなことをしたら」などという妄想ばかりが広がって、不安はどんどん増すばかりです。

そんな事態を避けるには、「自分は上司のどんなところが怖いのか」をはっきりさせ、恐怖を取り除く具体的な方法を考えることが有効です。

たとえば「時間に厳しい」上司なら、遅れないためにはどんな努力をすればよいのかを考えます。「口が悪い」上司なら、その上司は自分にだけそんな口調なのか、などと考えてみることで、上司へのとらえ方が変化したりもします。

「コロナとどうつきあうか」

そもそもこれだけ世界中に蔓延しているコロナです。「自分だけは絶対に触れないで過ごそう」とすること自体がナンセンスかもしれません。

私たち人類は、過去にも多くの感染症や破滅的な戦争を乗り越え、生き延びてきました。

その現実を踏まえたうえで、確実に私たちの身近にあり、いつ、だれが、どこで感染してもおかしくないコロナと「どうやってつきあっていくのか」。そういった見方に転換してみるのも、コロナ不安から抜け出す一助にはならないでしょうか。

リフレーミング(reframing)

このように物ごとを見る枠組み(frame)を変えて、別の枠組みで見直すことを心理学の世界では「リフレーミング(reframing)」と呼びます。

逃げようとすればするほど、得体の知れない不安は追ってきます。だったら逃げるのではなく、いっそのこと「それと共にどうやってやっていくか」と考えるのも、ひとつの方法です。

何も特別な話でありません。他の病気や災いと同じことです。

「病になったから不幸」とうつうつと過ごすより、「病と共にいかに豊かに生きるか」と考え、自分らしい人生を選び取って行く。そのほうが人は何十倍も幸せに暮らしていけますし、幸福感は免疫力も高めます。

もしかしたら、それがコロナに負けない人生につながるかもしれません。

学校再開

緊急事態宣言が解除となり、少しずつ日常が戻ってきました。
6月上旬の今、都内の多くの学校では分散登校となっています。

久しぶりに集団授業が再開し、定期的に学校に行く生活が戻ってきている‥とは言え、まだ3日に1日程度の登校で、1日数時間〜半日程度からスタートしている学校が多いようです。

コロナ休校後の学校

フェイスシールド

そして、‘新しい日常’の元では、
「常にマスク着用」
「友だちとのスキンシップは禁止」
「お昼も離れて静かに食べる」
など、新しいルールがたくさん。
学校によっては、教員がマスクに加えてフェイスシールドも着用して、まだまだ非常事態、という雰囲気で授業をしています。

「コロナに立ち向かう」「感染を広げない」という意味で、決してこれらは間違っていないですし、必要なことでしょう。
放課後にイスや机・ドアや廊下の手すりなど隅々まで除菌のための拭き掃除をしている先生たちを見ると、本当に頭が下がる思いです。

さらに慣れない動画配信をおこなったり、分散登校のために同じ授業をふだんの3倍繰り返し行わなければならなかったり、そのご苦労もまた大変なものです。

子どもたちにとっての‘新しい日常’

しかし、その一方で、子どもたちの立場で考えてみると、なんと不自由で窮屈な学校生活!とかわいそうにもなってしまいます。
もし、私が中学生だったら、学校に行っても周りの子と気軽におしゃべりができなくて、部活も行事もなかったら‥‥。
たぶん学校なんて全然楽しくない!と不満だらけになるでしょうし、「大人もテレワークとか言って家にいるなら、私も学校行きたくないなぁ」と本気で思うだろうと想像するのです。

教育現場の‘非常事態’はコロナが終息するまで、当面は続くことになりそうです。
今は子どもたち一人一人にとっても、間違いなく試練の時。日常の楽しみが奪われてしまい、それがいつになったら元に戻るのかわからない、そんな不透明感の中にみんないるのです。

いつもに増して、今は「学校に行きたくないなぁ」と思ってあたりまえ。
——そんなふうに大人が子の気持ちを汲み取ってあげられると、学校で不完全燃焼な子どもたちも少し救われる気持ちになるのではないかなぁ、と思う今日この頃です。