「つながりを保とうStayConnected」ーー新型コロナ時代の新しい生活様式

2020年5月31日

感染不安

コロナ不安が広がり、体調を崩す人が少なくありません。

「自分はコロナにかかって死んでしまうのではないか」
「自分や家族が感染してしまったらどうしよう」
「いったいどこにコロナがあるのかと思うと、外に出るのが怖い」

相談のなかでも、そんなことをつぶやく方がいらっしゃいます。

不安」を感じるのはもっともなのですが、これはなかなかやっかいな感情です。
恐れている対象がはっきりしている「恐怖」とは違って、「不安」の対象は漠然としています。そのため対処のしようが無く、また何をどこまでやっても安心することができないのです。

不安と恐怖を分けて

不安

世の中には、出所もよく分からない、真実かどうかも見極めづらい、人を不安にさせる情報が飛び交っています。
「『安心しよう』とネット情報を集めれば集めるほど不安になってしまう」という負のスパイラルに陥りがちです。

まずは不安と恐怖をきちんと分けましょう。恐怖にはきちんと対処できるよう、情報を集めることも大切です。

そのときには、情報に飲み込まれないよう、「私はこのことを知りたいのだ」という意思を持って情報に触れましょう。たとえ専門家や政治家と呼ばれる人の話であっても、「これはこの人の立場から見た1つの意見に過ぎない」と批判的な視点を持って見ることも重要です。

それが難しいなら、思い切って「SNSから離れる、コロナ関連のニュースは見ない」ようにするのも一案かもしれません。

「日常性の連続」の分断

それでなくとも私たちは、不安を感じやすい状況に置かれています。

マスクの買い占めに始まり、トイレットペーパーなど日用品の不足。非常事態宣言による大型店舗の休業や閑散とした駅の構内や真っ暗な飲食店街。そして“自粛”という名の行動制限は、私たちから日常の楽しみを奪い、「一日中、家族が同じ屋根の下にいる」というような“非日常”をもたらしました。

そうして、私たちが安心して暮らしていくための生活の基盤を大きく揺さぶったのです。

私たちが安全感を持って生きていくめには、一定の秩序と連続性が必要です。「今日は昨日の続き」で、「明日もきっと今日と同じような一日だろう」という予測可能な日常性が無くてはなりません。

戦争や災害をはじめ、自分の身の危険を感じるような体験などが大きなトラウマとなるのはこうした「日常性の連続」が分断されてしまうからです。

濃厚接触無しに健康は保てない

そんな時だからこそ、「StayConnected」。実はこれ、山田養蜂所の新聞広告(『東京新聞』2020年5月24日)に載っていたフレーズでした。

「ウイルスに負けず健やかに暮らす、その羅針盤となる5つのこと」のひとつが「つながりを保とうStayConnected」だったのです。

「三密を避ける」「ソーシャルディスタンスを取る」「人との接触を避け、人と会うとにはマスクを」などが推奨される昨今、意識的に人とつながろうとすることが大切です。

ほ乳類であり、霊長類である人間は、本来、濃密な身体接触、人間関係無しに健康に生きることはできません。つながりが薄れていけば、人は不安や抑うつ状態になりやすくなり、体長不良にも陥りやすくなります。

どうやってつながりをつくるのか

オンラインの飲み会、オンライン授業、テレワークなどがにわかに盛んとなり、「新しい生活様式」として定着しようとしています。

買い物をするときも、駅を通り抜けるときも、病院などの受付でも、一枚の透明なビニールやアクリル板が立ちはだかっています。

触れ合うことも同じ空気を感じることも無いなかで、マスクをして表情を伝えあうことも難しいなかで、人間にとって必要不可欠なつながりをどうやって保つのか。

「つながりをつくる」ことを仕事とするCAFICに何ができるのか。常に考え続けなければなりません。

Posted by 木附千晶