「愛」という名のやさしい暴力

9月17日に、『「愛」という名のやさしい暴力』(扶桑社)が出版されました。『すべての罪悪感は無用です』に続く、精神科医・斎藤学先生の名言集&その解説の第二弾です。

『罪悪感は無用です』同様、機能不全家族で育った人たちの「生きづらさ」に焦点を当てていることは同じですが、強いて言うなら、同書はそのなかでも共依存を中心とする「家族の『「愛」という名のやさしい暴力』問題」、「女らしさ」や「男らしさ」などの「らしさの病」に関する名言が多い、と言えるかもしれません。

虐待とは「子どもの濫用」

同書の構成に携わりながら、改めて「虐待とはなんぞや」と考えました。斎藤先生によれば、それは「子どもの濫用」ということにあたります。

殴ったり、蹴ったり、世話をしなかったり、性的に搾取するというような、ある意味“積極的”な行為だけではなく、破綻した夫婦仲の“かすがい”にしようとしたり、親の虚栄心を満たす存在に育てあげようとしたり、親の期待を過剰に押しつけることも、「子どもの濫用」であり、虐待である、ということです。

共依存と共依存症

また、共依存と共依存症についても考えさせられました。
ご相談のなかで「私は○○がいなくなったら生きて行けそうもありません。これは共依存ということなのでしょうか」と、問われることがよくあります。

「この存在がいなくなったら、とても生きていかれない」と思うことはとても健康です。こうした対象・存在があるからこそ、私たちは心の安定を保つことができます。そのような対象を児童精神科医のボウルビィは「愛着対象」と呼び、健康的な依存であると考えました。

しかし、その対象が、自分を支配したり、搾取したりしているにもかかわらず、「離れられない」となっているなら、それは依存“症”ということになるでしょう。

温故知新

たとえばアルコールで考えると分かりやすいでしょう。適度に楽しみ、体に害も無く、酔ったことで人間関係や仕事に支障が出なければ、アルコールは嗜好品です。
しかし飲んではいけない場面でもその衝動を止められず、酔ったことで周囲の人との関係にひびが入ったり、仕事で問題が生じるようになっているとしたら、アルコール依存症と呼ばれることになるでしょう。

同書の出版は、こんな「よくわかっているつもり」であったことを再認識するよい機会となりました。

もっと言えば、比較的、最近の話題である面会交流やコロナ対策にも通じる部分もありました。これぞ温故知新! ですが、詳細は読んでいただいてのお楽しみ、にとっておきましょう。
ぜひぜひお手にとって見てみてください。そしてみなさんの温故知新を探してみてください。

医療機関

心身の不調や困り事が出てきたときに、どこに出向くのが一番よいのか、迷われる方も多いことかと思います。
そのような場合のご参考まで、まとめてみました。

まず、身体の不調がはっきりとある場合は、医療機関で内科的な疾患がないかどうかを診てもらうことを第一に考えても良いかもしれません。
その上で、「これといった疾患はないけれど、やはり不調が続く」「お医者さんにストレスを指摘された」という場合は、改めて精神科・心療内科か心理相談機関かを検討してみてはいかがでしょうか。

病院?それともカウンセリング?

精神科・心療内科と、心理相談機関との最も大きな違いは、薬による処方がなされるかどうか、です。ですので、たとえば「仕事になんとか行けるように、まず不眠をどうにかしたい」ですとか、「不安がつのってしまってつらいので、薬での治療を試してみたい」という方は、まず医療機関を受診して、医師に相談してみることをお勧めします。
中には、精神科の薬を飲むことには気持ちの面で抵抗がある、という方もいらっしゃるかと思いますが、そのような方も一度医師に相談して、心身がどのような状態にあるのか、聞いてみてもよいかもしれません。

医療と心理の活用法

カウセリング

「薬で少しラクになったけれど、根本的な解決・治療にはなっていないような気がする」
「薬で治療するというものではないと医師に言われた(対人関係でお悩みの方・不登校のお子さんもよく言われることです)」
という場合は、カウセリングを受けられることをお勧めしたいと思います。
服薬治療を続けながら、カウンセリングを受けることは、多くの場合問題ないですが、念のため主治医の先生に確認を取っておくと安心ですね。

こころの健康のために

精神科医療も、カウンセリングも、一昔前までは特殊な分野と思われがちでしたが、最近では‘必要に応じて活用する’ということがだいぶ一般的になってきたように感じます。
精神的な不調を「気合で乗り越えるぞ!」とできればそれに越したことはないのですが、そうもいかない時もあります。
それでも良いのです😀
自分を責めすぎず、いたわってあげましょう。