CLUBみなしごブログ,自助グループミーティング

ホームページの「その他」の中に、「CLUB みなしご 情報共有」 というページができました。

前にも書いたように、 CAFIC が行っているミーティングのなかで、もっともにぎわっているのが 「CLUB みなしご」 です。 常時10人前後が参加しています (オンラインで実施)。ほぼ毎回、顔を出してくださる“常連さん”がいる一方、新規参加の方も、やはり毎回のようにいらっしゃいます。

「情報の共有• 継続」という課題

そうした状況のなかで、主催者側が気になっていたことのひとつに 「情報の共有・ 継続」がありました。
新規の方が語る悩みをうかがい、「あ〜、これはいつか出た話題。確かいいアドバイスもあった気がする」とは思うものの、 正確な内容が思い出せず・・・。ということが多々あったのです。

何しろミーティングですから、「言いっぱなし聞きっぱなし」が原則。録音はもちろんのこと、 話の記録すら残りません。貴重な情報も、どんどん流れていってしまいます。

「みなしごの遺産」に

そこで考えたのが「共有したい情報をどこかにまとめてアップしていくこと」です。
あたとえば、

①コストパフォーマンスのよい遺言書作成会社はどこか
②入院・手術時の保証人はどうしたか
③ 家を借りる時の知恵や親の介護の乗り越え方、
④法律や制度の「そんな使い方もあるんだ!」

という情報等々。

ときに「目からうろこ」「膝を打つ」ようなお宝話が飛び出したりします。それを「みなしごの遺産」として残しておかなくては、あまりにももったいないではないですか!

ときどき情報チェックを

今後も、「CLUB みなしご 情報提供」 に、 お宝情報を掲載していく予定ですので、ときどきチェックしてみてください。

そして、「CLUB みなしご」 のミーティングにも、ぜひぜひ顔を出してください。次回の開催は12月3日 (日) 12時半~です。

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現在、CAFICで行っている自助グループのなかで、一番新しいにもかかわらず、最も盛況なのが「CLUBみなしご 集まれ天涯孤独!」です。
毎回のように新しい参加者が訪れてくださっています。

みなしご“予備軍”の人も

みなさんインターネット検索で入ってこられるようです。おそらく「みなしご」というキーワードで検索することは少ないと思います。きっと「介護」「離婚」「墓」や「孤独死」等々を見ているうちに、たどり着いているのではないかと推測されます。

参加者は必ずしも「現在、まったく血縁者のいないみなしご」の方だけではありません。

「これからみなしごになることが分かっている」人や、親族やきょうだいという“立場”の人はいても、連絡も取っていない人たち。「いざとなっても頼る人がいない」“予備軍”も多くいます。

あえて共通項を上げるとしたら、「みなしご」と聞くと、思わず「ハッチ」と答えてしまう世代ということでしょうか。

「いかに生きていくのか」という不安

「おひとり様の老後」が話題になる昨今、「おひとりさま信託」を売る金融機関や、身寄りが無いまま亡くなったときに手続きを代行するNPO法人なども少なくありません。

しかし、「CLUBみなしご」に参加して思ったのは、みなさん「必ずしも“老後”や“死後”が気になっているわけでもない」ということです。むしろ、「どうやってひとりで生活していくのか、衰え続ける自分と向き合いながら日々の困難を乗り越えていったらいいのか」ということを気にされているように思います。

ごく簡単に言うなら、「いかに死ぬか」ではなく「いかに生きていくのか」という不安を抱えているということです。

孤独でさみしい大仕事

医療も進み、60代・70代になっても、まだまだ動けるし、やれることもあります。一方で、体は若い頃のような元気さは無くなり、健康問題も含めて、いろいろなトラブルに見舞われやすくなります。

そんなときに、身近に頼れる人がいなければ、何から何までひとりで考え、選び、決めていかなければなりません。お金だってかかります。人間関係があれば頼めることも、お金で解決するしか無くなるからです。

自分のことを気にかけて、心配したり、ねぎらったりしてくれる人はいなくなって、ちょっとした困りごとを話す相手もいなくなります。

「すべてを自分でやらなければならない」・・・それは本当に、孤独でさみしい、大仕事です。

みなしごが緩やかにつながる関係

そんなみなしごたちがどうにかして緩やかにつながる術は無いものか。

施設等に入ったときのように、一方的にケアされ、施設に合わせた生活を送るのではなく、自分らしい生活をできるだけ続けながら、ひとりでは難しいことを「ちょっとだれかに助けてもらう」・・・そんな関係をつくっていくことはできないだろうか。

「CLUBみなしご」に参加しながら、妄想の翼を広げています。

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「愛」という名のやさしい暴力

9月17日に、『「愛」という名のやさしい暴力』(扶桑社)が出版されました。『すべての罪悪感は無用です』に続く、精神科医・斎藤学先生の名言集&その解説の第二弾です。

『罪悪感は無用です』同様、機能不全家族で育った人たちの「生きづらさ」に焦点を当てていることは同じですが、強いて言うなら、同書はそのなかでも共依存を中心とする「家族の『「愛」という名のやさしい暴力』問題」、「女らしさ」や「男らしさ」などの「らしさの病」に関する名言が多い、と言えるかもしれません。

虐待とは「子どもの濫用」

同書の構成に携わりながら、改めて「虐待とはなんぞや」と考えました。斎藤先生によれば、それは「子どもの濫用」ということにあたります。

殴ったり、蹴ったり、世話をしなかったり、性的に搾取するというような、ある意味“積極的”な行為だけではなく、破綻した夫婦仲の“かすがい”にしようとしたり、親の虚栄心を満たす存在に育てあげようとしたり、親の期待を過剰に押しつけることも、「子どもの濫用」であり、虐待である、ということです。

共依存と共依存症

また、共依存と共依存症についても考えさせられました。
ご相談のなかで「私は○○がいなくなったら生きて行けそうもありません。これは共依存ということなのでしょうか」と、問われることがよくあります。

「この存在がいなくなったら、とても生きていかれない」と思うことはとても健康です。こうした対象・存在があるからこそ、私たちは心の安定を保つことができます。そのような対象を児童精神科医のボウルビィは「愛着対象」と呼び、健康的な依存であると考えました。

しかし、その対象が、自分を支配したり、搾取したりしているにもかかわらず、「離れられない」となっているなら、それは依存“症”ということになるでしょう。

温故知新

たとえばアルコールで考えると分かりやすいでしょう。適度に楽しみ、体に害も無く、酔ったことで人間関係や仕事に支障が出なければ、アルコールは嗜好品です。
しかし飲んではいけない場面でもその衝動を止められず、酔ったことで周囲の人との関係にひびが入ったり、仕事で問題が生じるようになっているとしたら、アルコール依存症と呼ばれることになるでしょう。

同書の出版は、こんな「よくわかっているつもり」であったことを再認識するよい機会となりました。

もっと言えば、比較的、最近の話題である面会交流やコロナ対策にも通じる部分もありました。これぞ温故知新! ですが、詳細は読んでいただいてのお楽しみ、にとっておきましょう。
ぜひぜひお手にとって見てみてください。そしてみなさんの温故知新を探してみてください。