相談室ブログ,ペットロス

9月、10月と続けて「ペットロスについて話して欲しい」と、メディアからの依頼を受けました。

ひとつは11月23日(土)18:05〜18:34放送の所さん! 事件ですよ 最愛のペットがよみがえる!?別れと出会いの最新事情(NHK) 。

もうひとつは三菱モルガンスタンレー証券のメンバー誌『Fortuna』(12月号)です。

今までも週刊誌やペットの専門誌で取材を受けたことはありましたが、ここにきてペットロスへの理解が進んだような印象です。

ペット(伴侶動物)は大切な家族

家族相談に取り組むCAFICでは、相談室立ち上げ以来、ペットロスやペットの看取りに関するカウンセリング、ミーティングにも力を入れてきました。

ペット(伴侶動物)は、かけがえのないパートナーであり、いつ、どんなときにも世話する人間を慕ってくれる子どもであり、大切な家族だからです。

そんなペットに先立たれた悲しみは、大切な人に先立たれたときと同じくらい、人によってはそれ以上のダメージになります。

動物であるがゆえに

人間の場合は、お通夜やお葬式、四十九日や一周忌などの法要があり、そこで慰めを得たり、思い出を語り合うことで悲しみの共有や喪失感を癒やすことができます。
一連の「死の儀式」は、死者への弔いとしてだけではなく、残された者が思う存分、泣き、悲しんで、とうてい受け入れ難い「死の現実」を受け入れるために重要な意味を持ちます。

ところが、ペットの場合は、それが動物であるがために、残された者が十分に嘆いたり、悲しみを共有したり、癒やしたりする場がありません。人間であれば当然得られるはずの慰めを得られないこともしばしばあります。
それどころか、「たかが動物じゃないか」というような心ない言葉を投げつけられることもあります。

立ち直ることができない痛手にも

我が子同然に愛してきた存在が、いつのまにか自分の年を追い越し、先に逝ってしまうーー。その現実を受け入れることはとても難しいことです。
愛着対象の喪失は、世界が崩壊するような絶望感と孤独感をもたらします。ときには、ひとりでは立ち直ることができないほどの痛手を負うこともあります。

番組をご覧いただくことで、その事実を多くの方に知っていただけたらと思います。

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あらゆる喪失体験に共通することですが、ペットロスを長引かせる大きな要因は「後悔」です。

もちろん、どんなに精一杯手を尽くしたとしても、やれるだけのことをやったとしても、「これで十分」とはなかなか思えません。
愛する伴侶動物を見送った直後は、みんなそうです。

「もし、こうしていたら」
「万が一、ああしなければ」

そうやって、選ばなかったもうひとつの選択肢や、やらなかったことの方に目が行ってしまい、自分を責め、後悔でいっぱいになります。

治療や看取りに思いを残している

看取りの過程でたくさん思いを残していると、こうした状況から抜け出しにくくなってしまうように感じています。たとえば次のような思いがあったりする場合です。

  • 「もっとこういう検査をして欲しい」とか「違う病気から生じている症状なのではないか」などと思いながらも、それを獣医師に伝えられなかった。
  • 動物病院の対応に疑問を感じながら、呑み込んでしまった。
  • 何よりも看護を優先してあげれば良かったのに、そうしなかった。

「後悔」を減らすために

カウンセリングにつながるは、多くの場合、伴侶動物を見送った後です。

しかし、実際にカウンセリングをさせていただいていて「看取りの過程をご一緒できていたら」と思うケースが多々あります。

言いたいのに呑み込んでいる思いや、獣医師に尋ねたいこと、どんな言葉で伝えたらいいか、日々の生活での優先順位などなどについて、「共に考えることができたら『後悔』を減らすお手伝いができたのでは」と思うのです。

看護しているときこそ

確かに看取りの最中は、物理的にも余裕が無く、だれかに相談するという考えが浮かばないのかもしれません。

でも、愛する我が子を、ひとりで看続けるのはとても孤独な作業です。ひとり「遠くない別れの予感」に怯えることは、言い知れぬほど不安です。

そんな私自身の経験も踏まえ、できれば愛する伴侶動物を看護しているときにこそカウンセリングをご利用していだけたらと、切に願っています。

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ペットロス(猫)

『いぬのきもち』(2021年2月号)で、ペットロスについてのインタビューを受けました。これをきっかけに、「ペットロス・看取り」のオンラインミーティングを準備しています。

CAFIC開設当初より、「ペットロス・看取り」のグループを行いたいという思いがありました。
「同じ空気、同じ空間のなかで共感し合える仲間と思いを共有する」ことが、カタルシス効果や癒やしを生むからです。

しかし、新型コロナウィルスの感染拡大が収まらず、人が集まるミーティングの開催は厳しい状況が続いています。
だからといって、オンラインでは「同じ空気、空間の共有」がどの程度できるのかと、二の足を踏んでいました。

同じ空気、空間を共有する『場』の大切さ

ペットロス(犬)

しかし、取材を受けたことで、そうした『場』の大切について改めて考え直しました。
私自身が、ペットロスの渦中にいたときのことを思い出したのです。

あの、「だれも自分の気持ちなど分かってくれる人はいない」という孤独感、「愛する者がこの世を去ったのに、世の中はなにひとつ変わること無く動いている」という失望感、「こんなに愛しているのに、もう二度と会えないのだ」という絶望感。

それは生きることを困難にするほど、圧倒的なものでした。

空気や空間の共有が難しい今だからこそ

また、老いて病気になったペットと闘病生活をしていたときのことも思い出しました。愛する者の生命の火が少しずつ消えていく・・・それなのにもはや見ていることしかできない無力感や、「もうすぐ自分は確実に愛する者を失う」という恐怖感がよみがえってきました。

愛する者に日々できないことが増えて行き、死へと向かってくことを実感せざるを得ない「小さな喪失体験」の積み重ねの毎日。それはまるで自分の手足を次第にもがれていくようなつらさでした。

コロナの影響で、空気や空間を共有することが難しい今だからこそ、その痛みを分かち合う『場』が必要だと改めて感じました。

人が亡くなったときには

人が亡くなったときには、お通夜やお葬式、四十九日や一周忌というように、故人をしのび、思い出や感情を共有するセレモニーとしての『場』が用意されます。

こうした『場』は、「愛する者の死」という受け入れがたい現実を受け入れるために役立ちます。そこで、故人について語り、自分の思いを聴いてもらい、心も少しずつ整理されていきます。

「やり残したこと」「やってあげたかったこと」「やってあげられなかったこと」などを言葉にすることで、罪悪感は軽くなります。
日頃はこらえていた涙を流すことで後悔の念は薄まっていきます。感情に共感してもらうことで自分自身の気持ちを受け入れやすくなり、孤独感から解放されていきます。

コロナの渦中でも

ミーティングでは、一対一のカウンセリングとはまたちがう、グループ・ダイナミックスが働きます。人はグループから影響を受け、グルーにも影響を与えていきます。

今後、「ペットロス・看取り」以外にも、オンラインを使ったミーティングを順次、増やしていく予定です。

コロナの渦中にあっても、もできることを少しずつ探していきたいと思います。

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