CLUBみなしごブログ,生きている間

人生の残りは意外と短い

女60才。
夫はいるけど、実の親きょうだいとはとうに縁が切れ、子どもはいない天涯孤独予備軍です。

「人生まだまだ先はあるだろう」と思っていたら、昨年、身近に感じていたミュージシャンが立て続けに亡くなってしまいました。

1月:高橋幸宏(70)、鮎川誠(74)
3月:坂本龍一(71)
10月:谷村新司(74)、もんたよしのり(72)
11月:大橋純子(73)、KAN(61)

ほとんどが70代前半。
KANさんに至ってはほぼ私と同じ年齢でした。
ショック…😳

人生100年時代と言われています。
しかしこうやって、もっと早く亡くなってしまう人もたくさんいるのです。
70才としたら、あと10年しかありません。
ぼんやりしてたら人生あっという間に終わってしまいます。

残りの人生何をすべきか

残りの人生、何をするべきか…
しかもまだ元気なうちに。

これは「今」考えるとても大切なことだと気がつきました。

まず思いつくのは「海外旅行」。

テレビで旅行番組を観たり、ニュースで海外旅行に出発する人を見るにつけ「自分も行かなきゃ!」と思います。

でも私は10回以上外国に行ったのですが、今思い返すと多大なる労力と出費のわりにはそれほどの実入りはなかった気がするのです。

今となっては自宅でくつろいで旅行番組を観ていた方が楽しいかも。

では「仕事」?
仕事が自分にとっての生きがいだったらそれも良いことでしょう。
仕事を通じて自分が向上し、人とつながり、人のためになる。
でも必要以上に、お金のための仕事はもうしたくないです。

過去を振り返りこれからを考える

では何?
年寄りの強みの一つに「過去の経験の多さ」があります。
今までの人生を思い返し、何が楽しかったか、そしてこれから何をすべきかを考えることが出来るのです。

今から思って、ほんとに楽しかったことは?

居酒屋で知らない人と話が合って盛り上がったこと
きれいな湖でのんびりしたこと
夫と二人で好きなクイズ番組を観ながら夕食を食べたこと
ギターで好きな曲を弾きながら歌ったこと
静かな場所で気持良い風を受けながら読書したこと
そして、今こうやって過去の楽しかったことを思い出していること

決して派手なことではないけど、日常の中にある楽しみを感じ、それに感謝する
何か新しいこと、大きなことに挑戦するのもいいけれど、もしかしたらこれが残りの人生で大切にするべきことなのではないかと思うのです。

と言いつつも、実際は日々の家事雑用で、時間が飛ぶように過ぎてしまいます。

「あーー、時間がどんどん過ぎてゆくー」

と思っても、それが自分の限界。
これはこれで仕方ない。
人はどんなときにもベストを尽くしているものなのです。

(文責 M)

CLUBみなしごブログ,生きている間

「CLUBみなしご」のミーティングに出ていて思うのは、参加者の興味が「生きている間」と「死んだ後」に分かれるということ。もちろん、いずれにも興味はあるのだろうが、人によって「より、こっちが気になる」というのがあるようです。

個人的には、圧倒的に「生きている間」が気になります。こう言っては無責任かもしれませんが、死んでしまえば自分は何も分かりませんから、腐乱死体になっていようと、死後事務が滞ってしまおうと、「まぁ、それはそれで仕方ない」と思えそうな気がします。

が、「生きている間」、もっと正確に言えば意識があって生存している間は、できるだけ痛い思いも不快いな思いも、寂しい思いもしたくない、と切に思います。

終の棲家はどうする?

そんな私が気になっているのが、「終の棲家はどうする?」ということです。

どこに住むか、だけではありません。どんなところにだれと住むか、何をして暮らすのか、どういうふうに生活するのか・・・いろいろ考えると、いったいどこにどんな終の棲家を構えるべきなのか、めちゃめちゃ悩みます。

動物は必須

私の日常に欠かせないものといえば、やはり動物です。最低限、犬と猫とは暮らしたい。そしてできれば犬は中型犬以上。可能であれば生涯、ゴールデンレトリーバーと一緒にいたいと願っています。

しかし、大型犬をいつまで世話できるのか。大型犬の世話には、体力、身体能力、経済力・・・いろいろなものがかさみます。日々の散歩や車に乗せての移動も、足腰が衰えたり、目が悪くなったりしたら、難しくなります。

住居の条件も厳しくなるでしょう。ペット可物件が増えてきたとは言え、大型犬可のところはまだまだ多くはありません。

さらに大型犬と猫と一緒に住める物件となると、賃貸ではかなり厳しそうです。

気にかけてくれる人も欲しい

そしてもう一つ、気になっているのは「私を気にかけてくれる人」の存在です。みなしごになれば天涯孤独です。いざというときに助けてくれる人も、私の人生や生活を一緒に背負ってくれる人もいません。法律的にも、私の生涯に関われる人はいなくなります。

「いつも一緒に」いるような人は無くてもいい。だけど、日々、挨拶を交わしたり、ちょっとした私の変化に気付いたり、私の健康や生死を気に留めてくれている人はいて欲しいなぁ、と思います。

そんなこんなを考えながら、終の棲家をどうするのか。もっと具体的に言うと住居と伴侶動物について、このブログを通して考えていきたいと思います。

(文責 C)

CLUBみなしごブログ,死んだ後,生きている間

常連のポイン子さんが、パワーポイントで「死後事務」についてレクチャーをしてくれました。
終了時には「そのデータをください!」という要望の嵐。

たとえば、私たちには、引っ越し時、入院・手術同意書などの「保証人」がいません。
認知症等の疾患で客観的な判断や決断力が衰えたときに、代理(=後見人)として動いてくれる人もいません。
これは「まだ生きているうち」に生じる問題です。

死んだ後、遺体はどうなり、住んでいた家はどうなるのか?公共料金の手続、サブスクや定期購入していたものの解約、年金や保険の受取終了など実に様々なことを考えておくことがあると再確認させられました。

CLUBみなしごブログ,生きている間

突然保証人の必要が

人間ドックの胃カメラで意識がもうろうとしているまさにその最中

「あ!ガンがあります」

と言われ、あれよあれよと転移の確認やらMRIなど通院すること数回。
1週間入院し、とりあえず内視鏡手術で切除することに。
当然、「付き添いの方に術前の説明を」という映画などで見たことのある展開が生じます。

「私、みなしごなので保証人はいません」
「なにかあった時に連絡のつく友達やいとこや親戚でもいいですよ」

と、大層ありがたい医師の声。

保証人の条件を調べておきましょう

10年以上、人間ドックでお世話になっている病院だからこその計らいかもしれませんが、経緯を説明して友人に保証人を引き受けてもらいました。

実はその数年前にも手術を受けているのですが、その際は友人を「いとこ」ということにして付き添いしてもらっています。

病院にしても何か事故があった場合、緊急の場合、治療費不払いの場合を想定しての保証人だからそんなものなのかな?と思っていたのですが、メンバーの方から、類似のケースで「保証人は3親等まで」と厳しく言われたとの発言が。

日頃からお願いできる人がいるか、通院している病院が求める保証人の条件について調べる必要があるなと感じる出来事でした。

CLUBみなしごブログ,生きている間

月に1度の「Clubみなしご」ですが、参加者の方の話を聴くにつれ、これからの人生で不安に感じていることが

「お金」
「他者とのつながりや気持ち」

の問題に分類できるように感じています。

お金はあればあるだけ頼りになります。
これに加え、預貯金の管理や資産についての知識・情報があれば、それこそ不労所得でも定期的な収入が期待できるかもしれません。

Youtubeなどの動画情報も、貯蓄や倹約、老後の暮らし、投資等の工夫や他の人たちの生活ぶりを知ることができて面白いです。


もともとネットから始まった「ガルちゃん(ガールズちゃんねる)」は性別を問わず多様なテーマについておしゃべりをするコミュニティで、私の好きなYoutubeの1つです。ラジオ替わりに良く視聴しています。
孤立や漠然とした不安など「気持ち」の問題もトピとして上がっており、意外にも生活の上でヒントになっています。ここ最近のトピで気にしているのは「新NISA」(笑)。
貯蓄と節税についての知識満載です。

その他、ブログのチエックや、図書館での関連本探し、「Clubみなしご」のようなミーティングに「聴くだけ参加する」ことで、暮らしを知るヒントが得られる場は少なくありません。
「知っていると知らないで大違い」上手に知識を得て、自身のみなしご生活を盛り上げたいものです。

CLUBみなしごブログ,生きている間

CLUBみなしごで話題になるものの1つに、「みなしごの私たちには身近な信頼できる人が必要?」というものがあります。

CLUBみなしごに集まる方たちは、親兄弟、子どもがいない、頼りにできる親戚縁者がいない、いたとしても縁を切っているという境遇です。当然ながら、誰かに看取りを期待することはできません。無論、介護や看護も亡くなった後も同様です。

だからこそ、信頼できる人が身近にいてくれれば、闘病や死後の手続なども安心だと考えるのはごく自然なことでしょう。

「死後事務」とは

葬儀やお墓のこと、電話の解約や役所への手続など、いわゆる死後に必要な手続きを「死後事務」と言います。よく耳にする「遺言書」の執行は、法的効力があるのは財産だけです。
「死後事務」は、弁護士や司法書士などが、生前に委任契約を結んで手続きを代行してくれます。これらの死後事務と遺言書の違いなどはあまり知られていません。

横須賀市では、「わたしの終活登録」というカードに、エンディングノートの保管場所、臓器提供の意思表示、葬儀や遺品整理などについて必要な事柄を記入すると、市が保管するという行政サービスがあります。カードは厳重に保管され、その内容は医療機関や警察、生前に本人が登録した連絡先にしか伝えられません。

つまり、市が「死後事務」をするのでなく、登録した連絡先に連絡が行く(みなしごの場合は、信頼できる人?? そもそも誰を連絡先にする?)というシステムです。

たとえば、子なし・親族なしの未亡人(みなしご)が、孤独死した場合、自治体が火葬してくれる可能性は高いですが、夫の墓の場所を探し出し、妻の遺骨を納めることは難しいでしょう。エンディングノートに「通帳のお金で火葬して、無縁仏にしてください」と記して孤独死しても、自治体は預貯金を引き出すことはできないのです。
このため、横須賀市でも「わたしの終活登録」カード登録の際には、聴き取りをして、みなしご(=身寄りがない人)には第三者に死後事務を委任するように促しているそうです。

ひとりで死んでいくみなしごたちへf

よく、「人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく」と言われます。

しかし、生まれたときには、必ず傍らに母親がおり、助産婦や医師が付き添っていることでしょう。そうでなかったとしても、赤ちゃんは人の手で育てられるはずです。

孤独死の場合、警察の検視の後、死亡が確認され、戸籍や契約書などの公的書類を頼りに警察が近親者を探します。身寄りや引き取り手が存在しない場合、自治体が火葬し、官報に告知します。それでも引き取り手がいない場合は無縁納骨堂などで保管されます。

結局は自治体が処理してくれるという考え方もあるでしょう。残したお金は国庫となります。

みなしごを生きるための知識、交流、悩みや心配の共有、ネット上(リアルでも)での信頼できる人探しを目指しています。

CLUBみなしごブログ,生きている間

私は胃がんの手術をしましたが、その時の保証人は「友人」。友人が医師からの説明を聞いて、なにかのときのために控えていてくれました。
もちろん、あまり会う機会のない「遠くに住むいとこ」などもいるにはいるのですが、それよりも信頼できる友人を「いとこ」と称してお願いした方がいい(だろうと思いますし、実際にやったこともあります)。

生命保険の受取人も「友人」。保険の担当者に相談すると可能だとのこと。保険会社の支店長との面談(電話)で了解を得ています。保証人の名前のところに友人の名が印字されて戻ってきました。
でも、「友人」と言える人や、信頼できる近くの人ってなかなかいないもんですよね。ちなみに私がお願いした友人も「みなしご」です。持ちつ持たれつです。

クラブみなしご情報によると、家はお金があればみなしごでも買えるそうです(わりと簡単らしい)。家を借りるのも、今はカード保障(エスポ)で承認が下りればOKとのこと。しかも、孤独死してもエスポがある程度のことをしてくれるようです。

みなしごなどのために「後見人制度」という法的な仕組みや、銀行などには「おひとりさま信託」もあります。しかしながら「金」のあることが前提。

ちなみに残した財産はきちんと遺言を公正証書で残しておかないと、法的には4親等であるいとこまで相続権がありますが、相続人不在の場合、全て「国」のものになります。「遺言」を預かってくれる会社もあるようで、クラブみなしごのメンバーで、利用されている方が紹介くださりました。

豊島区には「終活情報登録事業」や名古屋市には26万円と家財処分費を払うと、死後、葬儀や納骨、住宅家財処分の手続をしてくれたりする「エンディングサポート事業」というのもあるようです。

そういった「情報系」は、クラブみなしごの参加者の方からいくらでもサポートしてもらえそうです。
むしろ必要なのは、みなしご「応援団」で、

「ひとりで悩むなよー」
「大丈夫かー?」

と言ってくれる仲間ですよね。ネットの「ゆるい」つながりだけど、いざとなると頼りになる仲間を増やそうよ! というのが、クラブみなしごのコンセプトです。

できれば、みなしご同士で支え合う仕組みや、みなしご住宅(コレクティブハウスやコーポラティブハウス)、オフ会クラブみなしごなどまでたどり着けないかと夢は膨らみます。
みなさんの訪問をお待ちしています。