9月下旬、神の啓示を受けました

CLUBみなしごブログ,生きている間

9月下旬、突然、目が見えなくなりました。
と言っても、コンタクトレンズ洗浄液による炎症で今は回復傾向。まもなく元通りになる予定ではあります。

しかし、目が不自由な間、みなしご予備軍の私は「もし、みなしごだったら~」と、いろいろと考えさせられました。今となっては、「将来に向けて考えを深めるように、という神の啓示だったのでは?」と思うほどです。

広がったのは真っ白な世界

事件が起きたのは、ハードコンタクトレンズからソフトコンタクトレンズに換えて3日目のことでした。

朝、コンタクトを装着したとき「なんか染みるなー」と思ったものの、
「慣れないし、こんなものなのかも」
と思って外出。・・・それが大きな間違いでした。

電車の中で本を読もうとしたものの、目が辛くて開けていられません。とりあえず目をつぶりながら勤務地へ。違和感を感じながら仕事をしていたところ、他のスタッフから「なんかすっごい目が充血していますが、大丈夫ですか?」と尋ねられました。

慣れないソフトコンタクトレンズを外出先で外すことに抵抗があり、我慢していたのですが、「そんなことは言ってられない」と、トイレで外したとたん! 周囲が真っ白な世界になりました。

しばらく目をつむっていると、ぼんやりと「そこに何かがある」のは分かりました。が、はっきりした形になりません。

「これは、電車に乗って帰れない」

タクシーを呼ぼうにも、見えないとスマホのアプリが使えません。家族に電話をして迎えに来てもらおうと思っても、電話番号が見えない。何度も目をつぶっては目を休め、どうにかして「これかな?」という家族のアイコンらしきものを見つけて、迎えに来てもらいました。みなしごだったら、できない選択です。

処方箋をもらうにも四苦八苦

眼科の受付にたどり着けても、問診が書けない、診察室に入れない。処方箋をもらっても、眼科のすぐ下の階にある処方箋薬局行くだけで死の行軍のようでした。

目を開けると痛みで涙と鼻水が止まらなくなるので、極力目を閉じたまま、壁をつたいながらどうにかエスカレーターに乗り、薬局へ。眼科でバッグに突っ込んでもらった処方箋を「このへんに入っているはず」と指し、薬局の方に探してもらいました。

支払時、「処方薬に眼軟膏がありましたので、使い方の説明も一緒に入れておきますね」と言われ、思わず「だから見えないっつーの!」と言いたいのをぐっと飲み込み、お礼を言って、再び忍者のように壁をつたいながら薬局を後にしました。

困ったのは愛犬の散歩

それから1週間、まるまる仕事を休みました。休みの連絡をするだけでも死ぬ思いでした。
しかし、習慣とはすごいもので、料理や洗濯などの日々の家事はなんとかやり過ごせました。もちろん、勝手知ったる家の中なので、どこに何があるのかが分かっているから、でしょう。

日常生活のうち、一番困ったのは、愛犬の散歩でした。長時間の散歩はしばらく諦めてもらうにしても、最低朝晩2回のトイレ散歩には連れ出さなければなりません。
物のシルエットしか見えない目で、どうにか近場のトイレスポットまでの連れて行く日々が1週間ほど続きました。

「高齢になって目が悪くなって、運転ができなくなったら、犬を乗せて動物病院にも行けないのだ」という考えが、たびたび浮かびました。大好きな犬との旅行も、もう行けません。

くしくも7月後半に新たな保護猫を2匹迎えたばかりで、シャーシャー言う猫たちを懐かせたり、病院へ連れて行くという大仕事も控えていました。

恐ろしい考え

「死ぬまで犬や猫と暮らしたい。できることならゴールデンレトリーバーと暮らしたい」とずっと願ってきました。そんな私の脳裏に「もしかしたら、年を取ったら動物と暮らせないかも」という恐ろしい考えがよぎりました。

年を取って、体がうまく動かなかったり、車の運転ができなかったり、世話をできないときがあったりするかもしれない。そんなことがあっても、どうしたら動物たちと過ごす毎日を手に入れられるのか。

神様が「そろそろ真剣に考えなさいよ」と教えてくれた出来事だったのかもしれません。

Posted by CAFIC池袋