ペットロス
ペットロスとは
最愛のペット(伴侶動物)を失って心にぽっかりと穴が空き、さまざまな心身の不調に見舞われることです。
通常、大きな喪失を体験したとき、私たちは強い不安や孤独、罪悪感などに襲われます。あらゆるものごとが否定的・悲観的にしかとらえられなくなり、希望が持てなくなったり、自分だけが取り残され、世の中のすべてが遠くに感じるなどの離人感に陥ることもあります。
様々な心身の反応
精神的なダメージだけでなく、ふいに涙が出る、食欲の不振または過剰、下痢や便秘、吐き気や腹痛、頭痛、倦怠感や肩こり、腰痛などがひどくなったり不眠や過眠に悩まされるなどの身体症状が現れることもめずらしくありません。
これらは「最愛のペットを失う」という衝撃を受けたことに対する、正常な心身の反応です。しかし、こうした不調が長引いたり、絶望的な気持ちが強すぎて日常生活に支障が出たりする場合には、何らかのケアが必要となります。
ペットロスが大きなダメージとなる理由
食事、排泄、散歩や遊び、病気の予防や事故の回避など、いつでも飼い主の助けを必要とするペットは、飼い主にとって子どものようなものです。
そしてペットは、人間の子どものように成長して自立することがありません。人間の子どもは、自分の安全を守り、ニーズに応えてくれるおとな(多くの場合は親)を安全基地として心の中に取り込むことで、独り立ちしていきます。
しかし、人間ほど大脳皮質が発達していないペットにはそれができません。いくつになっても目の前にリアルな存在としての安全基地(飼い主)が必要になります。
永遠の幼子
だからこそ、ペットは飼い主に無条件の愛を示してくれます。“飼い主離れ”できないからこそ、飼い主がただそばにいて、向き合ってくれることがペットにとって「至福の幸せ」であり、それをもたらしてくれる飼い主を唯一無二の対象として受け入れ、何があっても慕い続けます。
飼い主がお金持ちか貧乏なのか、学歴があるかないか、容姿が美しいかどうかなどとはまったく関係ありません。
飼い主をいつでも必要とし、飼い主が「その人である」こと以外、何も望まず、ただただ愛情を向けてくるペットは、飼い主にとって“ずっと世話すべき永遠の幼子”と言ってもいいでしょう。
そんな“永遠の幼子”が、自分を置いて旅立ってしまうのですから、その喪失感ははかり知れないものがあります。
ペットロスとの向き合い方
最愛のペットを失ったら、無理をせず、まずは自分の今の状態を「当たり前のこと」として受け入れ、十分に悲しむことが大切です。
「たいしたことではない」「相手は人間ではないのだから」などと自分に言い聞かせ、むりやり気持ちを上向かせようなどとは、けっしてしないでください。
私たちは「周囲を心配させたくない」という気持ちもあって、ついつい「早く元気にならなければ」と焦り、「もう大丈夫」と思い込もうとしてしまうことがあります。
でも、それはとても不自然なことです。何者にも代え難い最愛の存在を失ったのですから、悲しみに沈み、生きる希望が見いだせなくなるのは、しごく当然のことなのです。
そんなあなたの状態を理解せず、「たがかペットじゃないか」とか「また新しいペットを飼えばいい」などと言う人、または言いそうな人とは距離を置きましょう。
否認から絶望へ
最愛のペットを失ったときには、だれもがその現実が受け入れられず、「あの子が死んだはずはない」「これは現実ではない」とその事実を否定したくなります。
愛する存在を亡くすことは、とても辛く、悲しいことです。そんな事実をそうやすやすと受け入れることなど、とうていできません。だからそうやって現実から目をそらすことで本能的に心を守ろうとするのです。
しかし、残念なことに現実は変えられません。目の前には冷たくなってゆく愛しいペットがおり、もう何かをしてあげる必要もない、してあげることもできない、からっぽの時間だけが過ぎてゆきます。
心が潰れるほど悲しいことですが、その辛い時間を過ごすことで、受け入れざるを得ない現実に少しずつ目がいくようになります。
怒りの感情
こうした否定する段階を過ぎると、怒りがわいてくることもあります。「どうしてあの子が死ななければならなかったのか」とか「なぜ私がこんなめに遭わなければならないのか」などと感じたりします。
また、自分を置いて逝ってしまったペットに「なぜ私をひとり残して逝ったのか」という憤りを覚え、そのことでまた罪悪感を持ってしまったりすることもあります。
獣医さんや、家族など、だれかを責めたくなることもあるでしょう。不慮の事故などでペットを失ったりした場合には、こうした気持ちがさらに強くなります。
「朝起きたら、『すべては夢だった』と笑えるかもしれない」とか「神に祈ったら生き返らせてくれるのではないか」などと考えたりすることがあるため、この時期を取引や交渉の段階と呼んだりします。
「受け入れざるを得ない」という絶望
さまざまな手を尽くしてみても、やはり愛するペットは生き返りません。愛する者が永久に戻ってこない事実を受け入れるしかなくなると、「死んでしまいたい」と思ったり、涙が止まらないなどの抑うつ状態に陥り、絶望の段階に入ります。
この段階がどのくらい続くかは人それぞれです。その人の置かれた環境や人間関係、それまでの生き方や人生、物事のとらえ方などによって違ってきます。
ペットロスからの回復段階
参考までに日本医師会によるペットロスからの回復段階を下記に示しておきます。ただし、必ずしも順調に次の段階へ進んでいくというものではありません。いちど回復に向かったと思ったら、また揺り戻しがくることもありますし、それまでの段階を行きつ戻りつしたりすることもめずらしくありません。
でも最終的には受容とか適応と呼ばれる段階へと入っていくと言われています。思い出して悲しくなったり、涙ぐんだりすることはありますが、新しい生活に適応し、また日常を楽しむことができるようになっていくのです。
- 第1ステップ:ショックのあまり事実を認められない → ペットの死を現実のものとして受け入れる
- 第2ステップ:絶望感と悲しみの日々 → 自分の気持ちを素直に表現する
- 第3ステップ:少しずつ回復していく → ペットがいない環境に慣れていく
- 第4ステップ:もとの生活へと戻る → 失ったペットを思い出として整理する
CAFICでできること
喪失体験からの回復には、現実を受け入れられず、孤独感や無力感に陥っている自分をきちんと受け止めてくれる信頼できる人に話を聞いてもらうことが、とても役立つと言われています。
CAFICでは、①かけがえのない対象を失った悲しみを癒やし、その対象を自分の人生・記憶に統合して永遠のつながりを得るため、および②加齢や病気のペットと向き合い、「日々小さな喪失体験」を重ねておられる方が最期までペットと共に歩むことができるようグリーフケアとなる悲嘆カウンセリングを行っています。
セラピストとの1対1の安全な関係のなかで、クライアントさんが抱え込んでいる悲しみや怒りなどの感情を解き放ち、罪悪感を軽減し、「その対象が今の自分の人生の大事な一部となって生きている」ことを実感するためのセラピーです。
また、同じように最愛のペット見送った経験がある人やペットが与えてくれる幸せを知っている人たちと体験を共有することも有効です。同じ思いを持つ仲間に受け入れてもらい、共にいる仲間や先を行く仲間の話を聞くことで、孤独感が軽減されたり、自身の存在意義を確認したりできます。
CAFICでは、セラピストが安全な場をつくるお手伝いをさせていただきながら、グループの力でペットロスからの回復をはかるペットロスのグループミーティングも行っていきます。
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